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アイルランドで出産



海外での出産ということに不安を感じながらも、家族や友人に
支えられて無事に出産を終えました。あっというまの出来事ですが、
一生忘れない貴重な数時間でもあります。アイルランドの産婦人科病院の
様子や、出生届の出し方などをお伝えします。


分娩室に行くまで  分娩室の様子  入院中の生活  パートナーの役割

お母さんのためのサポート  おうちが一番  出生届を出す



生後一日目。名前はまだなかった


分娩室に行くまで

予定日を過ぎても、何の兆候もないまま数日が経っていました。外で会う人に「予定日はいつなの?」と聞かれ、最初は「昨日でした・・」と笑って答えていたものの、3日、4日と過ぎていくうちに「果たして自然にやってくるかしら?」と不安になってきました。予定日を2日過ぎた最後のクリニックでの検診でちょうど1週間後に促進剤による出産の予約をしてもらっていたので、気持ちは焦るばかりでした。どうにか促進剤を使わないで自然に来てほしいなあ・・と待ち望みながらの日々です。

臨月とは言えほとんど普段どおりの生活を送っていた私は、予定日を6日過ぎた金曜日の夜も夫と外出していました。それも、夜中の2時までパブで音楽のセッションをしていたのです。変化があったのは翌朝5時ごろでした。さっそく病院に電話をして状況を説明すると、「じゃあこちらに来てもらっても構わないけど、急ぎではなさそうだからしっかり朝ごはんを食べて、お茶でも飲んで、それから来てね」という返事。
紙おむつ、ベビー服、自分用のパジャマなどを持って病院に着いたのは8時半頃でした。病院は産婦人科のみの2階建てで、地下もありましたが大きすぎもせず小さすぎもせずという感じ。ほとんど100%女性で占められた助産婦さん、看護婦さんはてきぱきと働いていて、対応も良くとても安心したのを覚えています。
車中で何となく不規則な陣痛が来ているかなあという程度で子宮口もまだまだということでしたが、お昼には昼食もしっかり準備してもらったのには驚きました。助産婦さんには「数時間様子を見るけど、もしかしたら今夜は家に帰ってもらうかもしれないわよ〜」と言われていたのが、陣痛が規則的になり出した夕方には「明日の朝には生まれてるわね!」とあっさり言われ、とても不思議な感じでした。この間、夫もずっと同室にいることができ、病院の冊子には使えないと書いてあったはずの携帯電話も使い放題だったので、何人かの友人と連絡を取りながら過ごしました。

夕食が終わった頃から、熟練らしき助産婦さんが定期的に診察に来てくれ、夜の12時を過ぎた辺りに「陣痛の間隔などから判断してそろそろ分娩室に入ってもいい頃ね、空き状況を見てくるわね」と言われ、その後歩いて分娩室に移動しました。この時、看護婦さんが待合室にいるはずの夫を呼びに行ってくれました。



無痛分娩が当たり前?分娩室の様子

分娩室に移動する前に、「痛みを緩和する何かを希望してる?」と聞かれました。アイルランドは他のヨーロッパ諸国同様、無痛分娩による出産が過半数を占める国です。当初夫も私も「自然に生めれば」と安易に思っていたのですが、陣痛がかなり強くなってきていたのと、目の前にそんな選択肢があるのなら・・という気持ちで結局無痛分娩に急遽変更しました。

分娩室に入る手前で担当をしてくれる助産婦さんと初対面、簡単に自己紹介をし合いました。エヴァという名のとても優秀な方で、出産が終わるまで彼女のことはいつでも100%信頼することができました。分娩室にはラジオが流れ、数人の助産婦さんたちがてきぱきと、しかしゆったりとした雰囲気の中で立ち働いていました。夫が入ってくると担当のエヴァは「コーヒーでも飲む?」の一言。夫も「あ、いいですね、じゃあいただきます」、「ミルクとお砂糖は?」ととても分娩室とは思えない会話を聞いているうちに、私もかえって気持ちが落ち着きました。
モニターで常に赤ちゃんと母体の様子を監視しながら、最初はガスを試しました。そのうち呼吸もままならないほどきつくなってきたので、専門医に来てもらってエピデゥーラル(Epidural)を打ってもらいました。それまで痛みとガスによって朦朧としていた頭が嘘のようにはっきりしてきて、夫と普段どおりに話しながら信じられないほどの平和な雰囲気の中、出産が終わりました。もちろん「自然分娩が一番よ」というこだわり派のアイルランド人もいますが、私は今でもこの時無痛分娩を選択して正解だったと思っています。

予想通りの女の子の誕生でした。助産婦さんの手からそのまま赤ちゃんを受け取った時の自分と同じ体温のあたたかみと、涙ぐんでいるように見えた夫の顔は今でも忘れられません。

体重を測ると、なんと3680グラムのビッグベイビー。精密検査では「赤ちゃんは小さめ」と言われていたのに、予想外の大きさでした。
保温器に入れられた我が子は、いつの間にか助産婦さんによって私が持参した日本の肌着を着せられて元気に泣いていました。窓からは朝日が差し込んで、その時やっと「ああ、無事に赤ちゃんを産んだんだな」と実感しました。



入院中の生活

すぐ隣に赤ちゃんを寝かせて、これからの数日間を過ごす部屋に運ばれたのは朝の8時過ぎだったと思います。もちろん夫も横にずっと付き添っていました。
パブリックでの出産でしたので、入院中は何人かの女性と同室でした。もちろん知った顔はありませんでしたが、運ばれるとみんな笑顔で「おめでとう」と言ってくれて、嬉しかったです。私を除いて全員がアイルランド人の女性で、プライバシーを守りながらもお互いの赤ちゃんの様子を聞き合ったりという穏やかな雰囲気がありました。5人部屋でしたが、この病院では母子同室がモットーでしたので、お母さんの数だけ新生児の数が同室にいました。しかも私のはす向かいの女性は双子を出産しており、日中でも助産婦さんたちがかなり頻繁に診察に来ていたのを覚えています。
母子で受ける育児レッスンのようなものはなく、生まれてから片時も離れていない我が子の世話を自分で、またはパートナーと一緒にするというのが方針です。その代わり、助産婦さんはかなり定期的に一人ひとりの様子を見に来てくれ、これは真夜中も続きました。母乳の与え方を手伝ってくれたり、何か困ったことがないか、不安なことがないかとその度に聞いてくれるのはとても心強いものでした。

また、訪問時間になると家族や友人が大勢お見舞いに来て、それは賑やかなものでした。
食事は決しておいしいとは言えませんが、室内にシャワーとトイレも常備していたので思っていたよりもずっと快適な入院生活でした。



パートナーの役割

ちょうど土曜日だったので夫は休みで一日中付き添うことができたものの、病院についてみると彼だけが例外ではなかったようです。ほとんどの女性がパートナー同伴で、立会い出産は当たり前という感じでした。
出産直後には、赤ちゃんのへその緒をパートナーの男性が切るというのが一つのオプションになっていてびっくりしました。事前にこのことは知ってはいましたが夫は「嫌だなあ」と言っていて、実際助産婦さんに「ホラ!このハサミで!」と強引に勧められても頑なに断っていましたが。

入院中も、パートナーに限っては就寝時間を除いて何時でも会いに来てよく、また何時間でも一緒に過ごせることになっていましたので、部屋の中はお父さん、お母さん、生まれたての赤ちゃんという家族がベッドの数だけいるという感じでした。私の部屋では、パートナーの男性たちのほとんどは朝食の時間が終わる頃に現れて、ほぼ一日中、就寝時間まで付き添っていました。毎日そのように通ってくるということはおそらく仕事を数日休んできているのでしょうが、それにしてもそんなことがよく許されるなあと日本人の私は感心しました。でも、考えてみれば我が子の出産は誰にとっても人生の一大事、できるだけ一緒にいたいというのが心情でしょうし、社会がそれを当たり前に奨励しているのは健全な姿なのかもしれません。



お母さんのためのサポート

入院中には専門のカウンセラーが一人ひとりを訪問し、さまざまなアドバイスをしてくれました。赤ちゃんのことではなく、女性自身のためのカウンセラーです。体の調子はどうか、精神的に何か不安なことはないかということから始まって、産後の過ごし方、体の状態を元に戻すためのエクササイズ法、うつ病になった場合のサポートなどについて話があり、冊子もたくさんもらいました。
特に周りにサポートしてくれる家族や友人がいるか、ということはかなりしつこく聞かれました。日本でも問題になっていることですが、アイルランドでもお母さんが一人で子育てをしているうちに精神的にどんどん追い詰められるというケースが増えているためなのでしょう。育児がきつくなったらいつでも相談に来ていいこと、家族が近くにいるならすぐに助けを求めること、それは決して恥ずかしいことではないことなどを説明されました。

もらったチラシの中には乳がんに関する情報、計画を立てて家族を作るためのアドバイス、母乳育児サポートセンターの情報などもありました。



おうちが一番

いくらプロの助産婦さんたちが助けてくれたり食事が提供されたりしても、やはり入院中にゆっくり休むということは難しかったです。個室ではないために神経も使いますし、赤ちゃんの世話があると休養どころかトイレに行く時間さえ惜しまれ、更に夜中にはどこかの赤ちゃんが泣き出すとその隣の赤ちゃんが泣き出し、更には自分の赤ちゃんまで・・という具合に睡眠もろくにとれず。
病院では初産婦さんの場合出産後最低3日は入院する決まりになっていたのですが、母子共に健康であれば希望によっては早く退院できるとも聞いていたので、看護婦さんに今日退院したい旨を伝えて、ドクターに早めに健診に来てもらいました。結局日曜日の早朝に出産、火曜日の夕方には退院しました。
日本では1週間の入院が普通のようですが、2日で帰宅できたのは本当に助かりました。何より誰に気を使うことなく自分のベッドでゆっくり休めますし、私の場合夫が家事の全てをしてくれたのと、退院の翌日には日本から母が来てくれたので精神的にもかなり休めました。

退院時には、看護婦さんが車まで送ってくれました。これは単なる親切ではなくて、車にきちんとベビーシートが設置されているかを確認するためなのだそうです。帰りの道中、初めて乗せたベビーシートの中で我が子はぐっすり寝てしまい、あまりに熟睡しているのでどうにかなってしまったのではないかとハラハラした記憶があります。



出生届を出す

入院中に、出生届の用紙をもらいました。週末以外であれば下の窓口で出せるという便利なものでしたが、私たちの場合名前は決めていたものの、綴りにいくつか候補があったために結局退院までに決められず、後日リムリックの役所まで直接出向くことになりました。最近ではエニスの役所機関でも出生届を受理してくれるらしく、便利になりました。

出生届には、子どもの名前、生まれた日と曜日、時間、性別、生まれた場所(病院の名前)が記されます。続いて母親、父親の名前、職業、住所、それに出生届を出した人の名前、続柄、住所の欄がありました。出生届はアイルランドでは「BirthCertificate」と呼ばれ、出生届というより出生証明書と言った方が正しいのでしょう。
日本人にとっては理解しづらいのですが、アイルランドでは結婚をしても姓を統一する義務はありません。よって、子どもの姓は母親の姓でも父親の姓でもよいのです。出生証明書の母親、父親の姓の欄は二つあって、一つ目は「Surname」(姓)、二つ目は「BirthSurname」(出生時の姓)となっています。私たちの場合、夫は二つとも同じ姓で私はSurnameが夫の姓、BirthSurnameが自分の日本の姓です。しかしこれも本人が望めばSurnameでも自分の元の姓を名乗ることができます。

これが受理されてから、ダブリンにある日本大使館に電話をして日本の出生届を郵送してもらいました。日本人と外国人の子どもは二重国籍となることは知られていますが、この日本の出生届を出さなければ二重国籍にはなれないわけです。ちなみにこの二重国籍も日本の場合は基本的に国籍は一つにするよう定められていますので22歳になるとどちらかの国籍を本人が選択しなければなりません。その時のことを考えると親としてはとても複雑な気持ちですし、どうして日本は二重国籍を認めないのかと日本の戸籍制度に疑問を持たざるを得ません。
日本の出生届の書き方はとても複雑で、いったん提出した用紙が大使館との間を往復した記憶があります。問題はやはり姓の欄で、私は結婚した際に自分の戸籍の姓を夫のものに変更しなかったので、「子の姓は出生証明書では○○(夫の姓)となっているが○○(私の姓)が正当である」という説明文をその他欄に記入しなければなりませんでした。つまり、アイルランドの出生証明書では娘の姓は夫の姓ですが、日本の出生届では私の姓なのです。

また、印鑑を押す箇所がありましたが、アイルランドに印鑑など持って来ていなかったので、大使館に電話をして相談したところ「赤いインクを文房具屋さんで買って、拇印で結構です」と言われました。


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