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アイルランドの村に住むということ
アイルランド人の夫と結婚し、夫が10年以上住んでいるフィークルに私が引っ越してきたのは、2004年1月のことでした。
それ以前にも何度かフィークルを訪れたことはあったものの、いざここの住人になるということは旅行で来ていた頃とは全く違う意味を持っていました。地元意識の強いアイルランドの農村で、日本から来た自分が一体どのように受け止められるのだろうかと思うと、ただ漠然と不安でした。当時はインターネットなどで調べても、アイルランド在住の日本の方はダブリンなどの都市に集中しており、駐在の方や日本で外資系企業で出会ったアイリッシュのパートナーと結婚している方などが多かった気がします。
英語を使いながら仕事をした経験もないどころか、短期の語学留学さえしたことのない日本人の私が、なんの前触れもなくアイルランドの農村に住んでしまって大丈夫かしら?そんな例は他にあるのかしら?などと、今思えば取り越し苦労のような心配をしていたのを覚えています。
初めの頃は地元の人から向けられる「誰だ?」と言っているかのようなあからさまな視線に思わず尻ごみして、その場から逃げ出したくなることもよくありました。
今でこそ英語での生活はだいぶ楽になりましたが、アイルランドに来て間もない頃は言葉の壁に加え、アイルランド人独特の会話術とでもいうのでしょうか、おしゃべりの仕方についていけず、「ずいぶん静かな子ね」なんて言われたりして、本当の自分を表現できないことに悩んだりもしました。
今思えば、アイルランドに限らず地元意識の強い田舎に新参者が暮らすということは、簡単なことではありません。その地域のコミュニティーの中で自分の居場所を見つけるまでには、時間がかかるものです。
今では人々の顔や名前が当時に比べてだいぶ分かってきたのと、夫を通じて親しくなった友人や音楽、ガーデニングを通してできた仲間ができました。娘が村の学校に行き始めてからは、地元の人々と接する機会も増えました。
2008年に建てた我が家を望む
どんなに長くアイルランドに暮らしても、心身ともにアイルランド人になっていくわけではありません。私はいつまでも私であり、日本というバックグラウンドを持つ人間であることは、一生変わることがありません。これは当たり前のことのようですが、不慣れな土地でこんな風に自分の存在を再確認できるまで、私の場合は2〜3年かかったように思います。
「私は私でいいんだ」ということが分かってからは、ずいぶん肩の力が抜けました。それから、アイルランド社会やアイルランドの村社会における彼らのやり方や人との付き合い方に順応していけるようになった気がします。
子どもたちが生まれ、自分たちの家を建て、今私の生活のすべてがここにあります。アイルランドは私にとってのホームであり、第二の故郷なのです。
なだらかな丘が続くフィークル村の風景。村の中心を離れると、人々の家もまばらに点在する